投資先企業紹介

株式会社 紅梅夢ファーム【事例紹介】

スマート農業技術を味方に、ふるさと福島県南相馬市で

農業復興に取組む株式会社紅梅夢ファーム

 

<出資先の概要(2019/11時点)>
会 社 名株式会社紅梅夢ファーム
代 表 者代表取締役 佐藤 良一
所 在 地福島県南相馬市
事業内容農産物の生産(米、大豆、玉ねぎ、菜種)、農産物の加工・販売
出資年月2018/3
出資金額19,800 千円

 

㈱紅梅夢ファームは、福島県南相馬市にある稲作を中心として野菜や菜の花を生産する農業法人です。 東日本大震災による福島第一原子力発電所事故により、避難指示区域となっていた南相馬市小高区 (旧小高町)で、佐藤社長は被災直後から営農再開に向けて活動を続け、2017 年に法人化しました。 「紅梅夢ファーム」の社名は旧小高町の町花である紅梅に由来し、農業に対して、特に若い担い手に夢を 持ってもらえる会社にしたいとの願いが込められています。当社は「担い手が少ない」「熟練者が不在」「大面 積の耕作」など、営農再開にあたり直面した課題に対してスマート農業技術を活用することで農業復興を進 めており、その活動はメディアにも取り上げられ、実際に若者が集まる職場になっています。 今では農業復興だけではなく地域全体の復興の一翼を担っている紅梅夢ファームですが、ここまでの道のり は決して平坦なものではありませんでした。

 

1.震災前の小高地区:法人化を目指していた集落営農組織連絡協議会の存在

― 佐藤社長は、どのような経緯で就農されたのでしょうか。

「私は小高で代々続く専業農家の 9 代目です。地元の農業高校を卒業したのですが、減反政策が始まり、農 業だけで食べていくのは難しいと考え、神奈川県の会社に就職しました。しかし、24 歳の時に父の入院をきっかけ に地元に戻り就農しました。当時は自分と妻、両親で水稲や野菜を 6 ヘクタールと、繁殖和牛などをしていました。 かつて小高では営農面積が小さい農家がほとんどでしたが、1995 年に圃場整備事業が始まり 1 ヘクタール以 上の大きな圃場が出来ていきました。圃場面積の拡大に伴い所有する農機具では対応しきれないという農家か らの作業受託が増えていきました。そこから『地域ぐるみで営農していこう』という方向になり、地権者が集まり上蛯 沢営農改善組合を立ち上げました。また、2006 年からは小高区内の 15 の営農組織が連携して共同購入・出 荷・販売を行う目的で小高地区集落営農組織連絡協議会を立ち上げました。2011 年を目途に法人化の準 備を進めていた矢先に、あの東日本大震災が起こりました。我々の住む小高地区は避難指示区域となり、住民 は各々各地へ避難することとなりました」

 

2.避難指示区域で農業復興への一歩を重ねる日々

― 営農再開に向けて、取り組まれたことを教えてください。

「避難指示期間内の“ため池”の管理人の役割を担い地域の状況の把握に努める傍ら、営農再開には土壌や、 農作物の中の放射線量を知る必要があると考え、行政から許可を得て 2012 年には自宅に隣接した土地 40 アールで水稲の試験栽培を始めました。そこで収穫した米やため池の放射線量を調べると、想定よりも少ないこと がわかり、営農再開に確信を持てるようになりました。さらに 2013 年には水稲と大豆の実証栽培を開始し、 2014 年には放射能を取り込まない作物である「菜の花」の栽培を開始しました。

 

大震災の起きた 2011 年の暮れから毎月、先述の小高地区集落営農連絡協議会の中で営農再開を目指 す営農組織と県や市を含めた関係者で話し合いを重ね、翌 2012 年 4 月からは法人設立準備会に切り替え、 さらに本格的に議論を重ねていきました。 2012 年には『ふるさと小高地区農業復興組合』を立ち上げ、小高区民を対象に作業員を募集して、区内の 農地の草刈りや津波被災地の瓦礫拾いなどを行ってきました。当初、草刈りは小高地区出身の農家であること が条件だったため十分に人を集めることができず苦労しましたが、その後小高地区出身者であれば可、と変えても らえ、日々200 人が参加する活動となり、今も続けています」

 

3.避難指示区域解除からの当社の歩み

― 避難指示区域の解除後に御社は法人化されていますが、その後の取組みについて教えてください。

「2016 年に避難指示が解除され、2017 年 1 月には小高区の 7 生産団体が出資し『紅梅夢ファーム』を設 立、同年から水稲を本格栽培に切り替えました。米は全量放射能検査を行いましたがすべて未検出、また等級 検査ではすべて 1 等級となりました。生産した米は、南相馬市の復興支援をしたいと申し出があった舞台ファーム 社(宮城県仙台市)と業務提携してパックご飯として、菜の花は 2015 年に菜の花オイルとして商品化し、道の 駅やふるさと納税などを通じて全国販売しています。 また、耕作面積は今後も広げていきたいと考えていますが、震災後数年間住民不在のまま放置されることを余 儀なくされた農地には様々な対策が必要です。例えばイノシシにやられた畦畔の造成や電気柵の設置、土壌改 良のため肥料の設計に工夫が必要な場合があるなど、特に初めて作付けを行う際は大変です」

― どのような経緯でアグリ社の出資をご活用いただいたのでしょうか。

「営農再開に向けて補助金を 申請したものの、申請者が多くな かなか順番が回ってきませんでし た。そんな時、農林中央金庫福 島支店からアグリ社の紹介を受 け、復興ファンドの説明を聞いて 出資をお願いすることにしました。 出資のおかげで、格納庫 1 棟、ロ ボットトラクター1台を早期に導 入でき、大変助かりました」

【大型の機械が多数収納できる格納庫】

 

【当社で使用している農機は GPS 制御により経験が浅いスタッフでも操作でき、データ収集も容易】

 

4.新卒の採用。若者にも魅力ある職場づくり

― 積極的に若者を採用し、人材育成にも取り組んでいるとお聞きしました。詳しく教えてください。

「2018 年に地元の農業高校から 2 名、2019 年に農業高校から 1 名と大卒者 1 名を採用しました。年間 計画に沿った社内教育に加え、業務上必要な研修は会社が費用補助し、業務時間内で受けられるようにして います。また、すでに業務に必要な資格を保有する者には給与面で優遇しています。今年からは社員研修も企 画していて、今回は他県にある精米工場の見学を予定しています」

― 若い人も働きやすい職場づくりをされているそうですね。

「女性社員もいるので、着替えを置けるように個人ロッカーを設置したり、現場に近いところにトイレを設置する など、従業員の声を参考に働きやすさにも配慮をしています。また、機械化を進めていることもあり、女性でもトラク ターやコンバインを十分に乗りこなす人もいて、男女での業務量の差は少なくなっているように感じます。 社員とのコミュニケーションには毎朝の朝礼や LINE などのツールを活用しています。提案や提言も、自分に言っ ていいよ、という風にしています」

 

5.佐藤社長が目指すもの

― 社名に「夢」という文字が込められていますが、佐藤社長の今後の夢や目指すところを教えてください。

「やはり一番は故郷の農地、そして景観を守っていくことです。うちの社員もそうですが、震災以降もこの地で一 生懸命農業をやりたいという思いを持つ人たちのグループが他にもいるので、彼らと一緒に頑張っていきたいです。 もう一つは、地元出身の若者を育てて、農業の良さ、魅力に関心を持ってもらいたい、ということです。ありがた いことに、うちの取組みがメディアで取り上げられたり、地元の高校などで自社の取組みを説明する機会も増えまし た。今は農業高校だけでなく、普通高校の生徒もスマート農業の研修に来ていて、関心を持っている様子がわか ります。 また、今後は米の少量パックや加工品の販売にも力を入れていこうと考えていて、妻や女性社員を中心に 6 次 化プランナーの方にも相談しながら進めています。 これからも、社是の通り『明るく、楽しく、真剣 に』、若い担い手が農業に魅力とやりがいを感 じ、儲かる農業、他産業に負けない職場環境 づくりに取り組んでいきたいですね」

 

インタビューを終えて

紅梅夢ファームは 2017 年設立ながら、すでにスマート農業の取組みと若者が活躍する職場として地域の 注目を集める存在です。今回、東日本大震災の直後から始まっていたという取組みをお伺いして、今の当社 の姿があるのは、佐藤社長が震災後の状況にひるまず、営農再開できる日、そして地域の農業復興をただひ たすらに見据えて地道に行動を重ねてきたからこそだとわかりました。「熟練者が少ない」「耕作面積は大きい」 という地域の課題を、スマート農業を活用することで「経験が少ない者でもできる」そして「若者がやりがいを持 って取り組める」魅力に転換し、実際に若者が集まる職場になってきています。 佐藤社長の故郷への思い、そして専業農家の 9 代目としての矜持が伝わってきました。佐藤社長、ありが とうございました。